2011年01月16日

ハングオーバー(2009,米国)


2010ho.jpg

昨年評判が良すぎてちょっとした事件になったという映画。私は最近まで存在すら知らなかったが、メチャクチャおもしろい。あまりにもおもしろい。企画力さえあれば誰でも最高の映画は作れるんだね、と感動した。謎解き型コメディって、他にどんな映画があるか知らないけど、とても斬新で興奮した。斬新なだけじゃなく、ちゃんと脚本が練り込まれていて、途中からどんどん伏線が回収されていって、その見事さには舌を巻いてニヤニヤするしかなかった。すごくパワーをもらった。

登場人物のキャラクターの描き分けが良かったんじゃないか。三者三様で、どんな観客だってこの三人のどれかに自分が当てはまるんじゃないだろうか。願わくばフィルのように常に冷静沈着でありたいだろう、でもスチュのように精神的に脆くなってしまうこともあるだろう。オタクでキモキャラ担当のアランだが、発想の仕方自体は自分と似ている部分がけっこうあって、実は行動に移しているかいないかだけの違いだよなあと、それはヤバイかもなあと思ったり。物語が進むにつれてアランが「ただの奇人」から「不器用だけど根はイイヤツ」に変わっていく演出も見事だった。それでも大いに問題アリなヤツだということに変わりはないけど。

殴る描写がかなり強烈。みんなカラダ丈夫だよね。あとベンツもとてもつもなく頑丈(笑)。居なくなったダグだが、他の三人に対して圧倒的に運動量が少ない、そこだけが謎。…と思って断片的に見直したらちゃんと伏線を張ってた。脱帽。というか画面の動きに注意していればわかる。ああいう台詞回しが速い展開で字幕読むのはやっぱりキツイ。
タグ:映画
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2011年01月10日

インセプション (2010,米国)


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友人の話では、ここ数年でみた映画の中でダントツにおもしろい、ということだったのでiTunesでレンタルしてみた。

結論からいうと確かに面白い。内面的な話を描くのが得意なクリストファーノーランらしい映画だ。夢の中を舞台にすることで、インスピレーションを最大限に利用している。現実なのか、夢なのか、あるいは回想なのか。あくまでの人の認識や記憶の問題なので、登場人物の見た目の年齢が変わったりする。でも記憶ってそういうもの(都合に合わせて恣意的に編集してしまう)だよねと納得。

台詞や音楽や行動パターンで何度も同じフレーズをくり返したり、伏線を張りまくったりとスルメ的な要素もある。ラストシーンの解釈も観客に任せてしまうタイプなのでリピート率も高いだろう。映画演出として個人的にツボだったのは、バスが橋から落下するときのスローモーション。これまでも車が落ちるタイミングで似たような演出はあったが、ここでは夢の中の時間のスピードはちがうからその間にミッションをやり遂げるカウントダウン、という必然性が伴っているのがミソ。

ただ一方で100点満点ではなかった。最大の理由はアクションシーンが雑だったこと。あれだけ大人数からバカスカ撃たれて、当たったのが仲間の一人に一発だけとか不自然過ぎる。それから第二階層でのエレベーター爆破の手際の良さ過ぎる点。字幕のミスかもしれないが、あれだけの準備を3分で終わらせるのは物理的に考えて不可能でしょ。しかもその間に敵を一人殺してる(笑)。ただしバスの横転に同期して夢の中も天地がひっくり返る演出は良かった。あれはジンバルを回しながら撮影したんだろう。ちなみにこの回転が原因で目が覚めた人は一人も居なかった(笑)。ここまで書いてて感じたが、随所でやたらジョークを入れてきたり、ひょっとしてこれはギャグ映画だったのだろうか。映画本編とは直接関係ないが日本語字幕は意訳というか、ちょくちょく小さなミスがあった気がする。本当なら自分がもっと英語堪能になって字幕レスで英語で見たいところ。もしくは英語字幕であれば、それで結構ついていけるんだけどiTunesでは機能がないのが残念。

それと主人公の行動動機はすべて子供に会いたいから、というように描いてるけどイマイチ説得力がないのはなぜだろう。ディカプリオのキャラに合わないから?…いや、ちがうだろう。思うに、妻と夢の中で過ごした50年間にまったく登場しないからだ。夢の中では(記憶でしかないから)ずっと小さいままの子供と、50年も「幸せに」過ごしてきて「一緒に歳を取ってきた」二人に生じてしまったズレが、それを隠すために都合良くカットしてしまった脚本が、一貫性を失わせて、本当はすごくキーポイントのはずなのに子供の印象がなんか弱い原因となっていると思われる。

まあ、そういう細かい所に突っ込みはじめてはいけない映画なのかもしれないが、みたいビジュアルをインスピレーションのままに繋ぎ合わせてみせるという、いかにも映画らしい映画だったと思う。

登場人物の中では、妻役のマリオンコティヤールがダントツで良かった。『TAXi』のときからキレイで存在感があったけど、今回も完全に主役を食っていた。逆にノーラン監督で、キリアンマーフィやマイケルケインが出てきて、音楽がハンスジマーになっちゃうと、もう『バットマン』にしか見えなくてちょっと困った。でもマリオンコティヤールでキャットウーマンとかなら見てみたいかも。ミシェルファイファーも超えられるんじゃないだろうか。
タグ:映画
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2010年12月31日

Vフォー・ヴェンデッタ (2005,米/英/独)


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こういう意味深で暗い作品って好きだ。僕はまず原作コミックから入ったが、たぶん日本ではレアケースだと思う。だから設定が分からなくて困るということはなかった。とはいいつつも原作もかなり前に読んだきりだったので、結構忘れてたから新鮮味をもって観れた。総じて、楽しめた作品だった。ビジュアルのセンスがいい。ナタリーポートマンも終始一貫して美しい。多少、粗雑で荒削りな部分も残るけど、イメージやメッセージが確固してるので、心地良い。映画だからこそできる表現だよなあと感心しきり。

まあ逆に映画だからできない表現もあったけどね。まずは尺の問題。原作に忠実に脚本をかいたら、たぶん4時間くらい欲しいだろう。でも短く2時間のパッケージにまとめなくちゃ、映画なんだから。本当なら90分が最高なんだけど。次に倫理的な問題。原作ではVの生い立ちを探るためにフィンチ警部が薬物使用して追体験を試みるんだけど、その描写はさすがに実写映画では無理だよね。誰も40オヤジがフリチンで幻覚みながら倒錯する場面なんて観たくなかろうから(笑)。

そしてエンディングが異なるという問題。作品を読んで一人余韻を噛み締めるコミックではなくて、これは皆で劇場でみる映画だから。やっぱり演出や切口は相応の形に変えないと。でもそこらへんも巌窟王という分かりやすいモチーフを持ち出した上で、登場人物に劇中で「それってハッピーエンドなの?」「映画なればこそ」って語らせて免罪符にしちゃうあたりスマートで好印象だった。(たしか原作では巌窟王のくだりはなかった…気がする)

こういう哲学的/文学的な作品を鑑賞していてつくづく感じるのは、自分の教養の少なさ。僕はたまたま巌窟王が好きだったからすんなり馴染んだけど、日本人には馴染みの薄いお話だと思う。そして聖書やシェイクスピアを引用されても、僕はすぐに分からない。あっちのそこそこ教養ある人なら、有名なフレーズなら一緒に諳んじられるだろうと思う。フレーズはすぐに分からなくてもきっと物語の粗筋や背景くらいならすぐにイメージできるんじゃないだろうか。中には読んだことある本もあるかもしれないけど、日本で生きてると、そもそも生活や文化の風習がちがうから、一度読んだくらいで理解できてるかも怪しい。日本語に翻訳されてる時点で、余計なフィルター挟まってるし。

詰まるところ、原作を英語でスラスラ読めるくらいになって、実際に時間をつくってそれらを読みたいんだよなあ。…うん、2011年のテーマにしよう。
タグ:映画
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2010年12月21日

パーフェクト・ワールド (1993,米国)


perfectworld.jpg

iTunesで映画レンタルが始まって、はじめて観た。懐かしいタイトルがあるとついつい借りてしまう…それはともかく、感想を書く。ネタバレあり。先に書いておこう、辛口評価です。

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タグ:映画
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2010年12月11日

イヤホンの未来


MusicLinkDualWhite.jpg

Apple米国サイトをみていたら見つけた。日本版サイトでは見たことがなく、新手のイヤホンなのか、と一瞬思ったが、どうやら違うらしい

これは【補聴器ユーザー向けの製品】だ。

MUSICLink Stereo Audio Coupling for Hearing Aid Users
http://store.apple.com/us/product/TV995LL/A#

たぶん健常者は使えないだろう。というか、補聴器がないと使えない。なぜなら、補聴器に微弱な電波を送って、補聴器から音を出すという仕組みだから、たぶん。ググってみたが日本語のページが全然存在しなかった。英語サイトもすこし巡回してみたけど、仕組みの説明をしている記事は見つからなかった。でも見た目とか、いくつかのユーザーレビューから判断して、おそらく間違いない。

見た目はかなりクールだ。サングラスをかけるような感覚で装着できそう。健常者でも使えれば良いのに。

イヤホンの目的は、自分だけに聴こえる音楽を提供することなのだから、このデザインは将来的に一つのスタンダードになりうる。耳栓みたいに突っ込まないから、人の声や、回りの音が聞こえて、つまり外出時に利用しても危険がない。買い物をするときに付けたままでも店員さんに失礼がない。でも僕だけには聴こえ続けているBGM。とてもクールでエレガンスだ。

数年前に骨伝導ケータイというのが現れて一世を風靡したが(…そしてすぐに消え去ったがw)、骨伝導イヤホンというのもすでに実在している。しかしデバイスが大きすぎたり、結局耳に突っ込むタイプだったりと、僕が望むクールでエレガンスなMY音楽ライフを実現できるものには至っていないというのが現状だ。早く誰か作ってくれないだろうか…今の僕にはヘッドホンメーカーに期待するしかできない。

ところでググっても日本語サイトが出てこなかったのは、それはそれで寂しいものがあった。障害者や高齢者の活動に対して、まだまだ日本は後進国であるという現実を感じたからだ。Apple日本サイトになかっただけでなく、製品紹介の記事や、個人の感想ブログなど、僕は一切見つけられなかった。

でも、これはチャンスでもある。日本はこれから高齢化がどんどん進む。つまり補聴器を利用する人は増えていく。一方で趣味として音楽を聴く人や楽器演奏をする人は、たぶんこれまでの高齢者に比べて、これからの高齢者は多い気がする、あくまで個人的な見解だけど。なのにまだ全然目立った動きがない。高齢者ビジネスは、これからの日本が元気になる重要なカギだ。ピンチはチャンス、問題がある場所というのは、次のステップに移行できる可能性がある場所でもあるのだ。

MUSICLink Stereo Audio Coupling for Hearing Aid Users
http://store.apple.com/us/product/TV995LL/A#
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2010年07月25日

欲望は加速する:Appleロスレス変換


flyfishing.png

Appleロスレス。最初こそ手を出しかねていたが、音質を追求してゆけば辿り着くのは必然だった。問題は使用可能容量との折り合いだ。その曲目に莫大に増え続けるファイル容量をかけるだけの価値はあるのか、本当に効果は顕われるのか。しかしクラシック音楽の取込みを皮切りに、その探求の火蓋は切って落とされた。いわゆる禁漁解禁状態。被圧縮音源はまるで渓流の岩魚のように瑞々しい。私のラインナップは次々とHD化されていった。

Appleロスレスは矢張り音が良い。スピーカで聴けば違いは一目(耳)瞭然。AACであっても256k以上であれば耳ではほとんど判別は付かないが、よく注意すれば高音も低音も質感が全然ちがう。大音量だとちがいが分かりやすい。小音量でも室内の余命な雑音(エアコンなどが出す一種のホワイトノイズ)に対するマスキング耐性が非常に強いと感じる。ヘッドホンでも高級なものを使えば、よく集中すればちがいが分かる。

技術的にはCDと音質に差はない筈だが、CDではディスクが不安定に回転するぶんだけ余計な振動が発生するから、たぶん結果的にはAppleロスレスのほうがノイズレスで安定性が高く高音質になるのではないか。CDつまりポリカーボネイトの円盤は工業製品としては決して緻密な方ではないだろう。

ただし、いずれも録音や仕上げが、そもそも丁寧な音源でなければ意味はない。だからそこがビットレートを決定するキー項目になる。現在までに、私のiTunesライブラリではクラシック音楽とビートルズとジミヘンドリクス、それに一部のジャズとロック(いずれもアナログ時代に録音された名盤がほとんど)を取込み直した。

デスクトップと異なりに容量に限界があるiPodのこともあるから選別は慎重になる。それでも足りずふだんiPodで持ち運ぶプレイリストも抜本的見直しを図る必要が生じた。だがおかげで聴きたい音楽がフォーカスされて従来のように「ただ持ってるだけ」から「積極的に選んで聴く」というスタイルに移行できたのは進歩だ。一方でときどきふと聴きたくなったりドライブなどで友人とシェア聴きするとき用に、相変わらず90年代J-popなどは低ビットレートで大量に持ち運んでいる。用途に応じて使い分けるというスマートな利用法。ちょっと面倒だけど、そこらへんの按配を調整するのが楽しかったりする。だって趣味ってそういうものでしょう。

hierarchyofneeds.png
タグ:apple ipod 音楽
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2010年07月19日

金閣寺/三島由紀夫(1956)


kin_cover5.jpg

別に読みたい訳でも何でもなかったのだが、偶然通りがかった本屋で、確信犯的に「ジャケ買い」してしまった。まんまと嵌まってしまった訳だ、新潮文庫の策略に。たぶん間違いなく読まない。でも、いい。友達に自慢しまくって、もうじゅうぶん定価580円の元手は取れた(暴)。誰に見せてもみんな肝を潰していたよ。ここまでのピカピカは今までなかったからだろう。金地に赤い明朝体で「金閣寺/三島由紀夫」って、それだけでインパクト強すぎ(笑)。

ネットよりも本屋さんで実物を手に取る方がいいです。もう絶対に購買衝動が抑えられなくなるくらい目映く輝いています。いかにもアジア文化圏らしい派手派手な華やかさは、室町というよりは江戸的な粋を感じさせるかも。まるで貴金属。若しくはむかし幼稚園のときに遊んでいた折紙に、普通の色は4枚づつなのに金色と銀色だけは2枚づつしかなくて大切だった、そんな特別な気持ちを思い出させているのかもしれない。真面目な話し、このデザインを決めた人はスゴイと思ふ。

http://100satsu.com/set/cover/index.html
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2010年05月06日

機動戦士ガンダムF91(1991,日本)


gundamf91.jpg

個人的には傑作だと思う。

最近同僚の影響でガンダムをみている。私の場合、特別な興味や思い入れはないのだが『ファーストガンダム』だけは別格。時代を動かしただけのパワーとか心意気を感じられるから好きだ。ガンダムに限らず何か大変なブームを巻き起こしたものって大抵そうだけれど、最初の一歩というのは尖っていて魅力的で、一方で続編からは大しておもしろくないものが多い。おそらく営利を上げるという大人の都合で作られているからだろう。まあ企業が営利活動をするのは資本主義社会における企業の存在意義そのものでもあるから全否定はしないし、それが好きな人にとっては大切であり魅力的なのだろうから尊重はするけれど、基本スタンスとしては興味がない人にとっても十分におもしろいかという観点でみれば、『ファースト』だけが圧倒的に高いのだ。

その同僚も熱っぽく語ってくれるのだが、どうしても馴染めなかった。たとえば続編であり完結編となる映画『逆襲のシャア』とか、一年戦争のサイドストーリーを描いた番外編『ポケットの中の戦争』とか、確かにそれなりには面白いと思うけど、それも『ファースト』があるから成立しているのであって、単体では十分おもしろいとは言えないと思う。やっぱり二匹目のドジョウはいないよ。

でもそんな流れの中で突然変異的に面白いものも出てきたりする。それまでの登場人物を一切排除して、ただ世界観とか設定だけを上手に間借りして、さらに制作当時の時代や世相を反映させながら新しい要素を盛り込む。つまりは構造改革。あるいはリメイクと呼ぶべきかもしれない。続編物がつまらない理由は大抵が前作の影を引っ張り過ぎるために時代遅れになってしまうからだと思う。その点リメイクというのは、続編とちがって本編そのものを今の時代感覚に合わせてもう一度作り直すという試み。今回初めて観たけれど『F91』はそんな映画だと感じた。


なんといってもモビルスーツが小型化しているのが良い。要するに逆転の発想でしょ、ただ大きけりゃあイイってもんじゃないよねっていう。実はこれには1991年のリアルタイムから感心していた。当時の私は小学3年生で、それなりに興味があったのか本まで買ってもらいながら、とうとう劇場まで足を運ぶこともなく(なんで親を説得しなかったのだろうか?厳しくて映画館にはめったに連れて行ってもらえなかったけれども)、しかしその本にはストーリー全貌からキャラ及びマシン設定、さらには制作裏話まで、すべて詳細に書いてあったので、たぶん映画を実際に観ただけの子供たちよりは詳しかったという、やや特殊な状況ではあったが、それでも子供心に「エンジンの小型化が実現したことで機体の小型化が可能になり、それによって機動力が大幅に向上した」という逆転の発想にはいたく感動したものだ。

そうでなければどんどん大型化すればいいという話になってしまう。単純に考えればデカイほうが強そうだし。そしてデカイのを作るためには財力が必要だ。でもそれじゃあお金があるほうが常に勝っちゃうに決まってるじゃんというつまらない状態になっていく、と厳しい親の下に育てられた当時の私は閉塞感を覚えていた。それは小学生でも、普段遊んでいて身体の大きいヤツとか、家がお金持ちのヤツとかと遊んでいるうちに学んでいくことだから。だが、小さくても、いや小さいからこそできることがあるという発想の転換にはとても勇気を与えられたんだと思う。この「逆に考える」という実は大人のビジネスシーンにも使える考え方の基本が、あのとき身に付いたんじゃないかって思えるくらい、当時の私にはインパクトのある設定だった。


大人になった今になっても、この逆転の発想は痛快だ。加えて、時代の世相を取込むという観点からみても、このモビルスーツ小型化という流れは、90年代初頭の日本の経済状況、高度成長期が終わり、バブルが崩壊して、経済がコンパクトになっていくという動向を捉えているように感じる。だって2000年代の現代ではエコがこんなに声高に叫ばれているんだから、先見性があったといえるんじゃないだろうか。それだけに、この作品での小型化は、旧来のガンダムファンや玩具メーカーの反発を受けて、再びモビルスーツは巨大化(15m級から20m級に戻った)を進めてしまったのは個人的にはやや残念。

それから、結局国家政府は助けてくれないから自分たちで行動するしかないという作品全体に流れる雰囲気も、当時の世相を反映しているのではないか。リクルート事件で政治不信が進んだからこそリアリティを持って観れたんじゃないだろうか。大人を信用できない子供たちが、大人にかまってもらえず子供たちだけで必死で戦っていたファーストと(ニュータイプっていうのは完全に「新人類」を意識してるよね)、大人も大人を信用していないF91の空気感のちがい(もはや「新人類」が当たり前になった時代であり、かつ「新日本人」が出てくる前の時代)を私は感じる。


そして旧来の設定の間借りも秀逸。登場人物はまったく被らないのに、主人公の母親がガンダム開発に関わっていて、でも別にそれはガンダムが作りたかったわけではなくてあくまで電子頭脳の開発が主目的だったわけで、で作られたモビルスーツもたまたま顔の形状が似ているからガンダムって呼ぼうとその場で決めただけで、といった具合にファーストガンダムを彷彿とさせる設定を随所に盛り込むという気概や心意気をみせながらも、かつ旧来のファンのこだわり故の科学的な批判指摘をうまく回避できる場所にと、巧妙に落とし込んでいる。


あとは手書きで描かれているがゆえの迫力。最近はデジタル化が進んでしまったけれど、やっぱり手書きの線だからこそ出せるアナログな歪みとか空気感は捨てがたい。まだアニメが「職人芸」だった時代。なんていうかアニメータの体温とかプライドが感じられるから魅了されてしまうのだろうな。序盤の日常風景が突然戦争に変わるシーンのテンションは異常なほど高い。破壊されるマシンとか、逃げ惑う兵士とか、泣き叫ぶ子供とか、壁に穴があいたコロニーとか。そういえば『崖の上のポニョ』も手書きにこだわっていた。

そして実感できるレベルでのリアリティの追求。連邦のモビルスーツの薬莢が頭部に当たって絶命する母親とか、爆風で飛ばされてそのまま壁に打ちつけられて絶命する少年とか、生身の人間が死に至るレベル感が結構リアルなのも良い。そうだよね、ミサイルが命中して爆発したから死ぬんじゃなくて、こんな簡単そうなことでも人って死んじゃうよね、みたいな。こんなもん今のテレビじゃ放送できないんだろうな。でもこのくらい身近な表現をもって見せてくれるから、この後の展開で感情移入ができる。表現に残酷は必要なんだよな。

惜しむらくは、よく言われるように、120分に詰め込むには内容が多すぎること。まあ無理なのは分かった上だけど。とりあえずセシリーの心境の変化のスピードには付いていけなかった。後から設定の全体像がみえてきた頃になってようやく、ああそういうこだったのねと分かる始末。さすがに20年ぶりだから私も本で読んだ設定の詳細までは覚えてなかった。アンナマリーの謀反の理由は単純だし、シーブックの勝手な行動はファーストをみていれば「ああそれも盛り込みたかったんだね」と納得できる(?)が、もうすこし丁寧に描いてほしかったのも確か。もしも当初の予定通りにテレビシリーズ化が実現していたなら、最初の15回くらいはそうした部分を補完しながら映画を再構成してくれたら良い作品になっていたんじゃないだろうか。映画用に描いたセルも再利用できるし一挙両得でしょ。(たぶん小説が映画の補完的役割を担っているのかもしれないけれど、自分はライトなファンだからそこにまでは入り込む予定はない)

最後に、森口博子の歌が良かった。声に透明感があって良い。今日まで全然知らなかった。アレンジも91年にしては古臭さを感じさせないのは、たぶんメロディが良いからだろう。良いものは、ずっと良い。

という訳でかなりベタ褒めしてしまったが、そのくらい良い映画だと思った。
タグ:映画
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2010年04月26日

ビートルズはモノラルで聴くべきって本当?


sgt_mono1.jpg

ビートルズにはステレオとモノラルの2種類があるが、普段iPodで聴くときはどちらを選択すべきか、というのは意外と大きな問題だ。合理的には両方乗せておいてそのときの気分に応じて好きな方を選ぶというところかもしれないが、なんかそれは負けのような気がする。男だったらどちらか選びなさいよ!みたいな(笑)それで半年くらい聴いてきて出した結論▼

『Please Please Me』『With The Beatles』
モノラル。さすがに初期2作の泣き別れステレオをイヤホンで聴くのはつらい。

『A Hard Day's Night』から『Help』まで
ステレオ。初期作品についてはビートルズはモノで聴くべきだという意見が強くあるが、ここであえてステレオを挟むのがポイント。この時期のステレオは楽器は左右に振り分けられながらもボーカルは真ん中にいる「一般的なステレオ」なのでとても聴きやすい。アレンジ的にもアコースティックギターやパーカッションが豊富だし、コーラスもシンプルかつ華やかなものが多いので解像度が高いステレオのほうが気持ちいいと思う。ヘルプだけは悩みどころだがモノラルは音があまり良くないのでステレオ。

『Rubber Soul』から『The Beatles』まで
モノラル。この時期のステレオは、スタジオ技術をいろいろ使おうとしてなのか「攻め過ぎ」のアレンジが多くてヘッドホンはつらい。ボーカルが完全に右側に寄ってしまったり、音が左右に散らかりすぎて迫力が薄れてしまっている。一方でモノラルは沢山の音が詰め込んでありながらもバランスが丁寧に調整されているのでちゃんと聴き分けができる。たぶんADTだと思うが全体的にボーカルが歪められていて、なんていうかセロファンを通したような強烈な肌触りというか残像感があって、単純に恰好良い。きれいにまとまり過ぎていない一種の毒々しさというか、こちらのほうが間違いなく中毒性があると思う。更に言うとそこらへんの音が、既成の概念や世界に穴を開けていくという当時のロックの存在意義を感じさせて感動したりもする。

ただし曲によってはステレオのほうがいいこともある。たとえば”She Said She Said”のドラムとか”A Day In The Life”の最後のオーケストラとか。やっぱりモノラルでは音が埋もれてしまったり、広がりがないために小さくまとまってしまったような印象があるものも否めない。でも”Lucy In The Sky With Diamonds”のモノラルを聴いてしまったら、最早ステレオには戻れない。

中には曲によってステレオかモノラルか選んで、それで最強のプレイリストを作っているような人もいるみたいだけど、そこまではしないかな。ステレオとモノラルで録音レベルが違うみたいだし、ちょっと手間が掛かりすぎだと思われる。できあがったところで本当に納得できそうかも分からんし(笑)今更だけど奥が深くておもしろいね、ビートルズは。
タグ:Beatles ipod 音楽
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2010年04月12日

VBRは使えない

可変ビットレート(Variable bitrate)とは、主に音声や動画などの圧縮時に1秒間のビットレートが可変する方式の一つ。一般的にVBRと略したり、表記されることも多い。(Wikipedia)

iTunesは特に何も設定を変えないでおくとVBRでAACに変換する。私もこれまで沢山のCDを取り込んできたけれど、ほとんどがステレオのVBRになっている。でも最近モノラル音源はステレオの半分のファイルサイズで足りるということに気がついて、すでに取込済みのCDも折りをみてもう一度モノラルで取込んで、容量を節約しようと思いついた。それで今日、ビートルズMONOのファイルサイズを小さくしつつ、でもせっかくだからついでに音質を上げようと思って、デフォルト設定の「256kbps(VBR)/stereo」から「160kbps/mono」に変更して読み込み直したら、衝撃。

160kbpsのモノラルは320kbpsのステレオと同じだから、そのぶん256kbpsよりも音質は上がっているはずなんだけど、それ以上にVBRを止めたことによる音質アップが効果的だったと思う。音が複雑でないときは低ビットレートにしておいて、音が複雑になったときだけ高ビットレートにするというのが高音質かつ低容量を実現するVBRのミソである。だけど、やっぱり単純なホワイトノイズ一つを取っても情報量が多い方が、なんていうか滑らかで味わいがある。全体の空気感やムードが重要な音楽にとって、これは致命的なちがいになる。

まあ、そもそもCDから比べれば4分の1まで減っているから今更何をって感じもあるけど、ステレオで192kbpsを超えると一気に音質が良くなるという話は比較的ちらほら見るし、私自身もそこそこ納得できるラインだと思うので、この最低ラインを確実に超えるためにも、今後はVBRの仕様は控えようと思う。

今回の試み

ch:stereo→mono(50%)
BR:256→320(125%)
VBR:使う→使わない(@@%)
結果:ファイルサイズは75%くらいになった

1 x 0.5 x 1.25 x @@ = 0.75
@@ = 120%

結論:
VBRを使うと容量が80%くらいに収まる
ただし全体の質感は結構下がってしまうようだ


なんか80%というのは意外と大きかったなぁ。矢張り同じ256kbps同士で比べないと意味ないだろうか。もしくはビットレートそのものがいくつか、ということよりも、ビットレートが頻繁に変わる(=耳に、脳に送られてくる情報量が常に変化する)ということが無意識レベルで負荷になったり、滑らかさを失わせる原因になっているのかもしれない。
タグ:ipod
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