個人的には傑作だと思う。
最近同僚の影響でガンダムをみている。私の場合、特別な興味や思い入れはないのだが『ファーストガンダム』だけは別格。時代を動かしただけのパワーとか心意気を感じられるから好きだ。ガンダムに限らず何か大変なブームを巻き起こしたものって大抵そうだけれど、最初の一歩というのは尖っていて魅力的で、一方で続編からは大しておもしろくないものが多い。おそらく営利を上げるという大人の都合で作られているからだろう。まあ企業が営利活動をするのは資本主義社会における企業の存在意義そのものでもあるから全否定はしないし、それが好きな人にとっては大切であり魅力的なのだろうから尊重はするけれど、基本スタンスとしては興味がない人にとっても十分におもしろいかという観点でみれば、『ファースト』だけが圧倒的に高いのだ。
その同僚も熱っぽく語ってくれるのだが、どうしても馴染めなかった。たとえば続編であり完結編となる映画『逆襲のシャア』とか、一年戦争のサイドストーリーを描いた番外編『ポケットの中の戦争』とか、確かにそれなりには面白いと思うけど、それも『ファースト』があるから成立しているのであって、単体では十分おもしろいとは言えないと思う。やっぱり二匹目のドジョウはいないよ。
でもそんな流れの中で突然変異的に面白いものも出てきたりする。それまでの登場人物を一切排除して、ただ世界観とか設定だけを上手に間借りして、さらに制作当時の時代や世相を反映させながら新しい要素を盛り込む。つまりは構造改革。あるいはリメイクと呼ぶべきかもしれない。続編物がつまらない理由は大抵が前作の影を引っ張り過ぎるために時代遅れになってしまうからだと思う。その点リメイクというのは、続編とちがって本編そのものを今の時代感覚に合わせてもう一度作り直すという試み。今回初めて観たけれど『F91』はそんな映画だと感じた。
なんといってもモビルスーツが小型化しているのが良い。要するに逆転の発想でしょ、ただ大きけりゃあイイってもんじゃないよねっていう。実はこれには1991年のリアルタイムから感心していた。当時の私は小学3年生で、それなりに興味があったのか本まで買ってもらいながら、とうとう劇場まで足を運ぶこともなく(なんで親を説得しなかったのだろうか?厳しくて映画館にはめったに連れて行ってもらえなかったけれども)、しかしその本にはストーリー全貌からキャラ及びマシン設定、さらには制作裏話まで、すべて詳細に書いてあったので、たぶん映画を実際に観ただけの子供たちよりは詳しかったという、やや特殊な状況ではあったが、それでも子供心に「エンジンの小型化が実現したことで機体の小型化が可能になり、それによって機動力が大幅に向上した」という逆転の発想にはいたく感動したものだ。
そうでなければどんどん大型化すればいいという話になってしまう。単純に考えればデカイほうが強そうだし。そしてデカイのを作るためには財力が必要だ。でもそれじゃあお金があるほうが常に勝っちゃうに決まってるじゃんというつまらない状態になっていく、と厳しい親の下に育てられた当時の私は閉塞感を覚えていた。それは小学生でも、普段遊んでいて身体の大きいヤツとか、家がお金持ちのヤツとかと遊んでいるうちに学んでいくことだから。だが、小さくても、いや小さいからこそできることがあるという発想の転換にはとても勇気を与えられたんだと思う。この「逆に考える」という実は大人のビジネスシーンにも使える考え方の基本が、あのとき身に付いたんじゃないかって思えるくらい、当時の私にはインパクトのある設定だった。
大人になった今になっても、この逆転の発想は痛快だ。加えて、時代の世相を取込むという観点からみても、このモビルスーツ小型化という流れは、90年代初頭の日本の経済状況、高度成長期が終わり、バブルが崩壊して、経済がコンパクトになっていくという動向を捉えているように感じる。だって2000年代の現代ではエコがこんなに声高に叫ばれているんだから、先見性があったといえるんじゃないだろうか。それだけに、この作品での小型化は、旧来のガンダムファンや玩具メーカーの反発を受けて、再びモビルスーツは巨大化(15m級から20m級に戻った)を進めてしまったのは個人的にはやや残念。
それから、結局国家政府は助けてくれないから自分たちで行動するしかないという作品全体に流れる雰囲気も、当時の世相を反映しているのではないか。リクルート事件で政治不信が進んだからこそリアリティを持って観れたんじゃないだろうか。大人を信用できない子供たちが、大人にかまってもらえず子供たちだけで必死で戦っていたファーストと(ニュータイプっていうのは完全に「新人類」を意識してるよね)、大人も大人を信用していないF91の空気感のちがい(もはや「新人類」が当たり前になった時代であり、かつ「新日本人」が出てくる前の時代)を私は感じる。
そして旧来の設定の間借りも秀逸。登場人物はまったく被らないのに、主人公の母親がガンダム開発に関わっていて、でも別にそれはガンダムが作りたかったわけではなくてあくまで電子頭脳の開発が主目的だったわけで、で作られたモビルスーツもたまたま顔の形状が似ているからガンダムって呼ぼうとその場で決めただけで、といった具合にファーストガンダムを彷彿とさせる設定を随所に盛り込むという気概や心意気をみせながらも、かつ旧来のファンのこだわり故の科学的な批判指摘をうまく回避できる場所にと、巧妙に落とし込んでいる。
あとは手書きで描かれているがゆえの迫力。最近はデジタル化が進んでしまったけれど、やっぱり手書きの線だからこそ出せるアナログな歪みとか空気感は捨てがたい。まだアニメが「職人芸」だった時代。なんていうかアニメータの体温とかプライドが感じられるから魅了されてしまうのだろうな。序盤の日常風景が突然戦争に変わるシーンのテンションは異常なほど高い。破壊されるマシンとか、逃げ惑う兵士とか、泣き叫ぶ子供とか、壁に穴があいたコロニーとか。そういえば『崖の上のポニョ』も手書きにこだわっていた。
そして実感できるレベルでのリアリティの追求。連邦のモビルスーツの薬莢が頭部に当たって絶命する母親とか、爆風で飛ばされてそのまま壁に打ちつけられて絶命する少年とか、生身の人間が死に至るレベル感が結構リアルなのも良い。そうだよね、ミサイルが命中して爆発したから死ぬんじゃなくて、こんな簡単そうなことでも人って死んじゃうよね、みたいな。こんなもん今のテレビじゃ放送できないんだろうな。でもこのくらい身近な表現をもって見せてくれるから、この後の展開で感情移入ができる。表現に残酷は必要なんだよな。
惜しむらくは、よく言われるように、120分に詰め込むには内容が多すぎること。まあ無理なのは分かった上だけど。とりあえずセシリーの心境の変化のスピードには付いていけなかった。後から設定の全体像がみえてきた頃になってようやく、ああそういうこだったのねと分かる始末。さすがに20年ぶりだから私も本で読んだ設定の詳細までは覚えてなかった。アンナマリーの謀反の理由は単純だし、シーブックの勝手な行動はファーストをみていれば「ああそれも盛り込みたかったんだね」と納得できる(?)が、もうすこし丁寧に描いてほしかったのも確か。もしも当初の予定通りにテレビシリーズ化が実現していたなら、最初の15回くらいはそうした部分を補完しながら映画を再構成してくれたら良い作品になっていたんじゃないだろうか。映画用に描いたセルも再利用できるし一挙両得でしょ。(たぶん小説が映画の補完的役割を担っているのかもしれないけれど、自分はライトなファンだからそこにまでは入り込む予定はない)
最後に、森口博子の歌が良かった。声に透明感があって良い。今日まで全然知らなかった。アレンジも91年にしては古臭さを感じさせないのは、たぶんメロディが良いからだろう。良いものは、ずっと良い。
という訳でかなりベタ褒めしてしまったが、そのくらい良い映画だと思った。
posted by WALNUT at 00:20|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
映画
|

|